誰もが銀河からこぼれてる

光っても、光らなくても、そこにある

関係ないけど、関係ある

 ハンミョウという虫がいる。ぴょんぴょこ跳ね回って道案内をしてくれる虫で、わたしはハンミョウを名古屋の白鳥橋に設置されている看板で知った。白鳥橋はわたしが育った熱田区にある橋で、上を国道一号線が走っている。看板にはハンミョウのキャラクターが描かれていて、たしか建設省道路事務所のキャラクターだと紹介されていた。今調べたところ、彼はこっちだヨウ平くんと言うらしく、今は一応国土交通省の管轄のようだ。

 関係ないけど、いやちょっと関係あるけど、わたしの話はとてもよく飛ぶ。わたしの中では繋がっているのだけど、他の人にはまったくわからないため飛んでいるように聞こえるのだそうだ。  たとえば、夫が紀文のちくわを買ってきたとする。すると、わたしは「そういえば、夜8時54分からフラッシュニュースやるじゃん?名古屋だとあそこでドラゴンズ情報っていって試合経過を流すんだよ」と返すのである。夫にしてみればそういえばも何もないのだけど、わたしの頭の中ではこうだ。

 あ、紀文だ。そういえば昔、「紀文のはんぺん私がシェフ♪」っていうはんぺんのCMがあったな。バター焼きにしたはんぺんを魚の形にくり抜いて中にグリンピースを詰めたやつ。あれおいしそうって思ったまま四半世紀は食べたことないな。あのCMはどこで見たんだっけ、何回も見た気がするんだけど、そうだ、そうだ、夜8時54分からのフラッシュニュースだ。ドラゴンズ情報と一緒に見たことがある。そういえば、名古屋の人ではない夫はドラゴンズ情報の存在を知っているのだろうか。……と、こういう思考の流れが瞬間的に行われているのであった。ちなみに、はんぺんのところから、「名古屋でははんぺんではなくはんぺいと言う」という話題に分岐していく危険性もあった。

 夫と同居してほぼ3年、夫はずっとわたしの話題が飛ぶ癖に困惑し続け、わたしは夫が困惑していることに困惑し続けいていた。話題が飛んでいることに気づかない夫が、繋がっていると思って話をしたところ、わたしから「別の話してるんだけど」と怒られたという理不尽なケースも多々あった。そこで、お互いのためにも、どうせ飛ぶならハンミョウのように道案内をすればいいのでは、という落としどころに至った。その落としどころワードが「関係ないけど」である。自分の脳内で思考がだばだばっと流れた後に話をするときには、話が飛んでいる可能性を考慮して、まず「関係ないけど」と切り出すようにしたのだ。

 この「関係ないけど」は効果があるらしく、話題を区切ってくれるため、繋がった話なのか別の話なのかを判断できるようになったと言っていた。わたしは壊れかけどころか壊れたラジオみたいな人間なので、家ではずっと喋り続けているのだけど、前はだらだらとノミのように話が飛び続けていた。今は脳内思考がだばだばっと流れた(=話題が切り換わった)タイミングで「関係ないけど」という落としどころワードが挿入されるため、ハンミョウのように道案内をしながら飛び回っている。

 あまりにも立て続けに「関係ないけど」で繋ぎながら喋るので、うっとうしくないか聞いてみたことがある。話題が飛ぶことを思えばぜんぜん気にならないそうだ。それもそうか、何の前触れもなく飛躍し続ける話を聞き続けるのは確かにしんどい。わたしほどではないけど、まれによく飛ぶ夫の話を聞いていて思う。夫はいつもいつも、これを聞かされていたんだな、と。

 わたしの実家の家族は、飛び続けながらも終わることのないわたしの話をよく「うるさい!」と一蹴した。そのたびに反省はするのだけど、それでもずっと喋っていたい衝動も話が飛ぶ癖も直らなかった。夫はそんなわたしのお喋りもずっと聞いていてくれる。「うるさい!」どころか、お喋りを聞いて笑ってくれる。ずっとずっと、こんな風に暮らしていけたらと思う。そう願うのなら、お互いがしんどくなることなく、しょうもないお喋りを楽しみたいのなら、「関係ないけど」の一言くらいいくら言ったっていい。

 一番近くにいるひとと、相手に負荷をかけ過ぎずに、いつまでもしょうもないことを喋っていられるように。「関係ないけど」は、わたしにとってほんのちょびっとの祈りを含んだ言葉なのだ。

 

 ……と、ここまで書き終えて思う。今でも白鳥橋にハンミョウの看板はあるのだろうか。そして、紀文のはんぺんのバター焼きのCMソングが断片的にしか思い出せないな。「紀文のはんぺん私がシェフ」「じゅじゅっとこんがりバター焼き」「かわいい形にくり抜いて」という部分は覚えているんだけど、フル音源は聞けるのだろうか。

 

これは数年前、白鳥橋がかかる堀川べりの桜。