誰もが銀河からこぼれてる

光っても、光らなくても、そこにある

24.5.5 わたしにふぁぼを

 SNSがなぜ楽しいのかと訊かれたら「誰かの人生をのぞき見できるから」と答えるだろうな、とずっと思っていた。だけど、気づいたのだ。誰かの人生を見ている間、わたしはわたしの人生を見ていないじゃないか。

 最近、手帳をもっと活用したいなと思い、手帳術のYouTube動画を見たりしていた。そしてある動画を見てこのことに気づいたのである。なんということだろう。mixiから数えると20年近くもの間、わたしは誰かの人生を見続けていた。わたしの人生ではなくて。

 誰かの人生にふぁぼした数は数え切れないし、わたし自身の人生にふぁぼした数も数え切れない。ただ、わたしの人生をふぁぼった数は、誰かの人生をふぁぼった数より圧倒的に少ないことだけはわかる。そんな有様で自己肯定感が低いだの自分がすかすかだの自分がぺらぺらだの言ったところで当たり前なのだ。

 SNSを見るのはやはり楽しいのだ。ここ数年、分断を煽るような投稿が増えたと自覚していても、心を痛めながらでも見ることをやめられなかったのだ。だから、やめることはしない。ただ、見る時間は減らしていく。SNSに使っていた時間をもっともっとわたしに使って、ちょこっとずつでもわたしをふぁぼれるようになっていきたい。

 それにしても未だにツイッターと言ってしまうどころかふぁぼると言ってしまう。亡霊すぎるな。