誰もが銀河からこぼれてる

光っても、光らなくても、そこにある

将来の夢を「大丈夫」にしようと思った

「大丈夫?」って聞かれたとき、関西人でもないくせに、だいたいは「ぼちぼち」って返している。大丈夫ではないけれど、大丈夫じゃないとも言えない状態。恒常的にそんな感じで生きている。

最近は「ぼちぼち」の中でも大丈夫じゃない割合が増えてきた気がしている。わたしは双極性障害2型という病気を患っていて、この病は躁鬱の波をなるべくフラットに保つことが治療の目標になるのだけど、8月に入った頃に軽躁と鬱が混ざりあった状態になってしまった。「軽躁か鬱に振れたらすぐ来てください」と言われている通りクリニックに行き、新しい薬を飲むことになった。眠気が出るから夕食後に飲むようにという指示だった。指示通り飲んでみたところ、あまりの眠気に頭がぐらぐらして舌がもつれて回らないという事態に陥った。もはや昏倒のようなものである。しかしこの薬を飲んだところ、妙に元気になることも妙に悲しくなることもなくなったのである。飲む時間を調整しながら飲み続けたところ、ほぼ昏倒することもなくなった。

薬を変えて、気持ちの波も落ち着いてきた。しかし、大丈夫かと訊かれたらたぶん大丈夫じゃないのである。短歌だってまったくつくれないし、読みかけの本だって何冊も溜まっているし、夏の初めに買った鉄砲の形の光るシャボン玉マシンも開封していないのである。なんとなく心身とも冴えなくて、胸のあたりがつかえるような感じがして、仕事には行けていても家ではスマホを適当に触ってしまう。そしてそんな無為な時間を過ごした自分が嫌になる。スラムダンクのミッチーの「なぜオレはあんなムダな時間を……」という後悔のめちゃくちゃ小規模なやつを繰り返しているのだ。

この「気持ちの波は落ち着いてるけど大丈夫じゃない」現象はこれまでにもたびたび起こっていて、そのたびにどうすればいいのかわからなくなる。気持ちの波が落ち着いているので大丈夫だと言えるはずなのに、気力も体力も追いついてこない。気持ちの波のレベルと、気力と体力。このパラメータがバランスよく整うことがない。

 

大丈夫になりたいなぁ。

よく、心のなかで呟いている。

 

生涯付き合う必要のある病を得た時点で、健康にはなれないだろう。でも、いつか、時間をかけてでも大丈夫になれたら。思えば高校生の頃から病を抱えてきて(当時はうつ病と診断されていた)、基本的にずっと大丈夫じゃなかった。それがデフォルトで、大丈夫じゃない自分をごまかしながら生きていくものだと思っていた。大丈夫なんて夢だと諦めていたけど、突然、「だったら夢として目指してみてもいいんじゃない?」と思い至った。いつものように「大丈夫になりたいなぁ」と呟いたあとに。

将来の夢なんてふわふわしたことを言うような年齢じゃないことは承知の上だけど、今この瞬間は将来の夢を「大丈夫」にしようかなぁと思っている。大丈夫と思える日があるように、増やしていけるように。飽きっぽくて忘れっぽいわたしのことなので、明日にはまた別のことを考えているかもしれないけど。今だって、大丈夫と言える状態ではないけど。

いつか、大丈夫であるように。

ま、ぼちぼちいきますか。


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