誰もが銀河からこぼれてる

光っても、光らなくても、そこにある

しゃべって、食べて、書いて

 7月の三連休の名古屋はそれはそれは暑かった。これぞ猛暑と言わんばかりの天気の中、ブログ「バンビのあくび」のえこさん(id:bambi_eco1020)が名古屋までお茶をしに来てくれた。えこさんは短歌を始める前のブロガー時代からの知り合いで、隣の県にも関わらずなかなか機会がなくて会えなかったのだ。円頓寺本のさんぽみちでもきっとすれ違っていたのに…!

 金時計も銀時計も混んでいるだろうと言うことで、ナナちゃん人形で待ち合わせ。ナナちゃんはとても派手な柄物の服を着ていて、「ああいう柄の服欲しいなぁ、えこさんも柄物好きって言ってたなぁ」なんて考えながら待っていた。そこに現れたえこさんはグレージュのワンピース姿で、わたしはまず「柄物じゃない!」と思ったのだった。ベリーショートに赤いポピーのピアスがよく映えていて、本当に素敵だった。

 事前に選んでおいたカフェへ向かう。本当なら駅から歩ける距離だけどやや遠いので、と名鉄と市バスで移動する。名鉄名古屋駅は地下にあるのだけど、「ここから地上に出る瞬間が好きなんです」なんて言った割におしゃべりに夢中でぜんぜんその瞬間を見ていなかったことを今思い出した。そう、わたしはずっと会ったときからおしゃべりを続けていたのだ。
 わたしは元来おしゃべりが好きな人間なのだけど、相手の様子をうかがいつつおしゃべりレベルを調整してしまうことが多々ある。そしておしゃべりレベルの調整をミスり、ぜんぜん話せずただ疲れてしまうこともある。だけど、えこさんとはおしゃべりレベルを調整することもなく、ただただずっと喋っていられた。カフェの順番を待つ間も、サラダとカレーとコーヒーをいただく間も、追加でスイーツを食べる間も。わたしたちはしゃべって、食べて、しゃべって、そんな風に午後を過ごした。ざっくりとした普段の話、ブログの話、あのころからゆるく繋がっているブロガーさんたちの話、本の話、短歌の話、書くことについての話、音楽の話、本屋さんの話、あらゆるフィールドを行ったりきたりしながらも話は尽きなかった。えこさんとは興味関心の方向が似てるからなのか、話していてとても楽しかった。前にもこうして話していたような気さえした。f:id:spice16g:20230718160444j:image

 話したことの多くは秘密なんだけど、えこさんの話で印象に残っていることがある。「ハードルを上げちゃってなかなか本を読めないんですよね」という話をしたら、えこさんは「ひびうたの本の会ではね、みんなで読書は娯楽って言ってるんだよ」と言ったのだ。そうか、娯楽だからもっと気楽に読んでいいのか!と肩から力が抜けたのだ。そしてもうひとつ、「書きたくて書いている人のブログがやっぱり面白いよね」とも話した。マネタイズだったり、何かしらの目的があって書かれるブログ自体はあってもぜんぜん構わないんだけど、「書きたい」という欲求をベースに書かれたものにはやっぱりエネルギーがあって面白いよね、と二人で話していた。そして、わたしは書きたいという欲求だけでもっとブログを書いていいのだとも思った。

 二人とも聴いているポッドキャスト番組「OVER THE SUN」でパーソナリティーのスーさんと美香さんがそれぞれ5冊本を選ぶという回が配信されてたな、と思い、二人でやりましょう!と提案した。アスナル金山丸善を回って回って考えて考えて、「3冊セレクトした中から1冊選びましょう!」ということにした。わたしは読みたい文庫本3冊をチョイスし、えこさんはその中から沢木耕太郎さんの『無名』を買っていった。そしてわたしは、えこさんセレクトの絵本なら間違いない!とみやこしあきこさんの『ちいさなトガリネズミ』を選んだ。「次会ったときもこれやりましょうね!」とお互い約束した。

 柄物の印象のあるえこさんは、無地のグレージュのワンピースを着ていたけど、バッグがしっかり柄物だった。蛸の柄のバッグはとてもイケていて、わたしこういう柄物好きなんですよー!という気持ちでいっぱいだった。夏の午後のひかりの中でも、干上がることなくそこに蛸はいた。蛸はえこさんの肩からぶら下がりながら、とてもうれしそうだった。

 えこさん、またお茶しましょうね。二人とも夏が嫌いなのに夏にデートしちゃったので、次は涼しくなったらやりましょう。そうそう、本のさんぽみちでも会えたらいいですね、ふふふ。

 


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23.06.20 DIY精神を持つこの手は

 髪が伸びてきた。ショートヘアのため、最悪でも3ヶ月に1回はヘアカットに行くべきなのだ。しかし、仕事にすら行くことができないでいる身にとって、美容院に行くという行程はとても重かった。まず、こちらの都合だけでは切っていただけないので予約をしなければならない。最近行っている美容院は即時予約ではないためやりとりが発生する。それを嫌って即時予約できる美容院を予約したとしても、今度はほとんど新しい美容院に行くことになってしまう。それに、新しい美容院なら大量にコミュニケーションが発生するし、最近行っていたところにしてもコミュニケーションは避けられない。途方に暮れていたわたしのところに、DIYの神さまは降臨して啓示を与えた。
セルフカットすればいいじゃないですか」
思えばわたしはDIY精神に溢れた人生を送ってきた。ハンドネイルはセルフジェルネイルだし、夫の割れ爪二枚爪ケアもしているし、手編みでさまざまなものを作ってきた。買うよりも作った方が安そうで作れそうなものなら、だいたい作ってしまう。だったら、髪だって自分で切ってしまってもいいんじゃないか。ちょっと失敗したってどうせ伸びるし、どうしようもなくなったら諦めて美容院に行ったっていいのだ。
 ドラッグストアの15%オフクーポンで梳きばさみを買い、100円ショップで合わせ鏡用の大きなミラーとケープとダッカール(ヘアクリップ)を買う。昼休みにごはんを食べに夫が家に戻ったタイミングで切ることにした。さすがに後ろは見づらいので、長さのチェック要員である。夜に切ろうと思っていたけど、夜は魔が差す可能性があるので昼間にした。洗面所に新聞紙を敷いて、首にタオルとケープを巻く。ヘアカット用のはさみと細いヘアゴムを用意して、いざヘアカット開始である。
 事前にいくつものYouTubeを見て予習していたとおりに切っていく、と言いたいところだけどそうもいかなかった。首に巻いたタオルとケープのおかげで襟足は見にくいし、ブロッキングしてちょっとずつ切っていこうと思うと腕がだるくて疲れてしまう。人間の腕は上向きにできていないので。それでも、はさみと梳きばさみを駆使してじゃきじゃきと切っていく。長めに切ることだけは意識しながら。
 夫にも見てもらいながら微調整し、全体的に短く切り終えた。利き手側の髪はどうやら切りづらいということを覚えた。スマホカメラで撮ってもらうと、意外と不自然さはない。それなりに前下がりだし、それなりにレイヤーだって入っている。癖毛だとか生え癖だとかが考慮されてないので、洗ったらどうなるかわからないけど。ということで、切り立ての髪と髪の毛まるけになった身体にシャワーを浴びせた。ドライヤーで髪を乾かしてみる。軽い。軽いし、懸念していた癖毛の部分も気にならない。できた、できたんだ。セルフヘアカットが!
 常にセルフヘアカットする必要はないし、もちろんプロに切ってもらうことだって必要なんだけど、自分でできることが増えた分だけ自由になった気がした。いつでも自分で髪を切れるという自由、髪を自分で切ってもいいという自由。わたしはわたしの手で、「髪はプロに切ってもらうべきだ」という固定観念をゆるめることができたのだ。それに気づいたとき、髪だけでなく心まで軽くなった。やむにやまれぬ理由でトライしてみたセルフヘアカットが、新しい風を吹かせてくれた。
 さて、今度は同じように伸びに伸びている夫の髪を切ろう。わたしのこの手は、大切な人の髪だって切れるはずだ。

23.05.24 みたいなパン

朝、会社近くのファミリーマートに寄ったら、「ピザポテトみたいなパン」というものが目に入った。ピザポテトでもピザパンでもなくピザポテトみたいなパンだ。パンが後ろに来ているということは、ポテトよりはパン寄りなのだろう。しかし、ピザポテトみたいなパンとピザパンの違いは何なのだろう。外見で判断することはよくないという一般論があるけど、相手は人間ではなくパンだしな…と誰かにエクスキューズを入れながら、まずはパンの外見を窺う。窺ってみたものの、ピザポテトみたいなパンはピザポテトみたいなデザインの袋に入れられており、通常のコンビニパンのようなシースルー部分がなかった。外見で判断しようとしたわたしへのバチだろうか。買わないと教えてあげないよ!ジャン!ということなのだろう。いや待て、ピザポテトはカルビーポリンキー湖池屋なのだから混ぜてはいけない。そもそも、迷っている場合でもないのだ。もうすぐ始業時刻なのだから。

結局、おにぎり2つとカップのチルド惣菜を買ってファミマを出た。ピザポテトみたいなパンを手にすることもなく。会社に着いたのは始業時間1分前だった。ギリギリセーフだよ!ジャン!

関係ないけど、関係ある

 ハンミョウという虫がいる。ぴょんぴょこ跳ね回って道案内をしてくれる虫で、わたしはハンミョウを名古屋の白鳥橋に設置されている看板で知った。白鳥橋はわたしが育った熱田区にある橋で、上を国道一号線が走っている。看板にはハンミョウのキャラクターが描かれていて、たしか建設省道路事務所のキャラクターだと紹介されていた。今調べたところ、彼はこっちだヨウ平くんと言うらしく、今は一応国土交通省の管轄のようだ。

 関係ないけど、いやちょっと関係あるけど、わたしの話はとてもよく飛ぶ。わたしの中では繋がっているのだけど、他の人にはまったくわからないため飛んでいるように聞こえるのだそうだ。  たとえば、夫が紀文のちくわを買ってきたとする。すると、わたしは「そういえば、夜8時54分からフラッシュニュースやるじゃん?名古屋だとあそこでドラゴンズ情報っていって試合経過を流すんだよ」と返すのである。夫にしてみればそういえばも何もないのだけど、わたしの頭の中ではこうだ。

 あ、紀文だ。そういえば昔、「紀文のはんぺん私がシェフ♪」っていうはんぺんのCMがあったな。バター焼きにしたはんぺんを魚の形にくり抜いて中にグリンピースを詰めたやつ。あれおいしそうって思ったまま四半世紀は食べたことないな。あのCMはどこで見たんだっけ、何回も見た気がするんだけど、そうだ、そうだ、夜8時54分からのフラッシュニュースだ。ドラゴンズ情報と一緒に見たことがある。そういえば、名古屋の人ではない夫はドラゴンズ情報の存在を知っているのだろうか。……と、こういう思考の流れが瞬間的に行われているのであった。ちなみに、はんぺんのところから、「名古屋でははんぺんではなくはんぺいと言う」という話題に分岐していく危険性もあった。

 夫と同居してほぼ3年、夫はずっとわたしの話題が飛ぶ癖に困惑し続け、わたしは夫が困惑していることに困惑し続けいていた。話題が飛んでいることに気づかない夫が、繋がっていると思って話をしたところ、わたしから「別の話してるんだけど」と怒られたという理不尽なケースも多々あった。そこで、お互いのためにも、どうせ飛ぶならハンミョウのように道案内をすればいいのでは、という落としどころに至った。その落としどころワードが「関係ないけど」である。自分の脳内で思考がだばだばっと流れた後に話をするときには、話が飛んでいる可能性を考慮して、まず「関係ないけど」と切り出すようにしたのだ。

 この「関係ないけど」は効果があるらしく、話題を区切ってくれるため、繋がった話なのか別の話なのかを判断できるようになったと言っていた。わたしは壊れかけどころか壊れたラジオみたいな人間なので、家ではずっと喋り続けているのだけど、前はだらだらとノミのように話が飛び続けていた。今は脳内思考がだばだばっと流れた(=話題が切り換わった)タイミングで「関係ないけど」という落としどころワードが挿入されるため、ハンミョウのように道案内をしながら飛び回っている。

 あまりにも立て続けに「関係ないけど」で繋ぎながら喋るので、うっとうしくないか聞いてみたことがある。話題が飛ぶことを思えばぜんぜん気にならないそうだ。それもそうか、何の前触れもなく飛躍し続ける話を聞き続けるのは確かにしんどい。わたしほどではないけど、まれによく飛ぶ夫の話を聞いていて思う。夫はいつもいつも、これを聞かされていたんだな、と。

 わたしの実家の家族は、飛び続けながらも終わることのないわたしの話をよく「うるさい!」と一蹴した。そのたびに反省はするのだけど、それでもずっと喋っていたい衝動も話が飛ぶ癖も直らなかった。夫はそんなわたしのお喋りもずっと聞いていてくれる。「うるさい!」どころか、お喋りを聞いて笑ってくれる。ずっとずっと、こんな風に暮らしていけたらと思う。そう願うのなら、お互いがしんどくなることなく、しょうもないお喋りを楽しみたいのなら、「関係ないけど」の一言くらいいくら言ったっていい。

 一番近くにいるひとと、相手に負荷をかけ過ぎずに、いつまでもしょうもないことを喋っていられるように。「関係ないけど」は、わたしにとってほんのちょびっとの祈りを含んだ言葉なのだ。

 

 ……と、ここまで書き終えて思う。今でも白鳥橋にハンミョウの看板はあるのだろうか。そして、紀文のはんぺんのバター焼きのCMソングが断片的にしか思い出せないな。「紀文のはんぺん私がシェフ」「じゅじゅっとこんがりバター焼き」「かわいい形にくり抜いて」という部分は覚えているんだけど、フル音源は聞けるのだろうか。

 

これは数年前、白鳥橋がかかる堀川べりの桜。

友達とフィルムカメラ片手に浜松をお散歩した その1

今年に入ってからわたしの中でフィルムカメラブームが巻き起こっており、巻き起こるがままに祖父の形見のフィルムカメラで写真を撮ってはTwitterInstagramへ写真データを載せていた。フィルムカメラって楽しい、その気持ちでタイムラインを見ると、友達のいっちゃんがフィルムカメラに興味を持ってくれていた。

「カメラは貸すよ!だから、フィルムカメラ散歩しない?」と誘うまでに迷いはなかった。いっちゃんの住む浜松まで、名古屋から在来線でも2時間弱。会いたいのなら行ってしまえばいいのだ。日にちの候補を絞り、わたしの手持ちのフィルムカメラの紹介画像を作り、そこから使いたいカメラを選んでもらい、供給が不安定ゆえに家にストックされていたフィルムを用意して、天気予報が晴れになった日を選んで出かけた。

 

10月の三連休の初日はとてもよく晴れていた。名古屋豊橋往復きっぷを買い、まず豊橋に向かう。一度豊橋で改札を出る必要があるけど、この名古屋豊橋往復きっぷを組み合わせるとお値打ちに浜松まで行けるのだ。なかはられいこさんの句集『くちびるにウエハース』を読みながら新快速に揺られた。

豊橋駅ナカに藤田屋の大あんまきがあったので、改札を出るついでにちらりと見たところ、期間限定のほうじ茶あんが売られていた。大あんまきが好きな夫へのお土産に大あんまきを買う。これから目的地へ向かうというのに。でも帰りには売り切れている可能性があるからね。

 

浜松の駅でいっちゃんと落ち合う。3年ぶりの再会のとてもうれしいこと。本や大あんまきをロッカーに預けて、公衆電話をテーブル代わりにしてフィルムを装填する。いっちゃんが選んだカメラはフルオートのパノラマ画角のMINOLTA P's、わたしが持ってきたカメラはNikon S2+5cm F1.4。入れたフィルムはフォロワーさんに譲っていただいた期限切れの業務用100。フィルムの装填が終わったら、ぶらぶらとスナップ散歩の始まりである。


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1枚目のちょっと切れてる写真、けっこう好き。


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めっちゃ大きな音が鳴るらしい。焦点距離5cmだと収めるのがちょっと大変だね。昔はmmじゃなかったんだな。


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佇まいがいい。


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古い病院の外見に惹かれることが多々ある。

 


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友達の好きオムライス屋さんでチーズオムライス!わたしのはトマトクリームソースがけ。

見た目はしっかりしてるのに中の卵がとろっとろで絶品だった……!

(Pixel 4a)

 

ごはんを食べてまたぶらぶら。


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こういうものを撮りがち。富士山がいる。

Nikon S2はレンジファインダー機で、ピント合わせが二重像合致式なんだけど、なかなかいい感じに合っているんじゃなかろうか。

 


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鴨江アートセンターで注染染めの小さな展覧会が開かれていた。色と光の捉え方がいいな。


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屋内の水場はさすがに露出不足だったみたい。屋外はさすがの写り。

 


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五社神社狛犬がとても筋肉質だった。


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そうか、七五三シーズンなんだな。

 

とここまで書いてきて、とても長くなりそうなことに気づいた。

続きはまた書こう。

 

 

将来の夢を「大丈夫」にしようと思った

「大丈夫?」って聞かれたとき、関西人でもないくせに、だいたいは「ぼちぼち」って返している。大丈夫ではないけれど、大丈夫じゃないとも言えない状態。恒常的にそんな感じで生きている。

最近は「ぼちぼち」の中でも大丈夫じゃない割合が増えてきた気がしている。わたしは双極性障害2型という病気を患っていて、この病は躁鬱の波をなるべくフラットに保つことが治療の目標になるのだけど、8月に入った頃に軽躁と鬱が混ざりあった状態になってしまった。「軽躁か鬱に振れたらすぐ来てください」と言われている通りクリニックに行き、新しい薬を飲むことになった。眠気が出るから夕食後に飲むようにという指示だった。指示通り飲んでみたところ、あまりの眠気に頭がぐらぐらして舌がもつれて回らないという事態に陥った。もはや昏倒のようなものである。しかしこの薬を飲んだところ、妙に元気になることも妙に悲しくなることもなくなったのである。飲む時間を調整しながら飲み続けたところ、ほぼ昏倒することもなくなった。

薬を変えて、気持ちの波も落ち着いてきた。しかし、大丈夫かと訊かれたらたぶん大丈夫じゃないのである。短歌だってまったくつくれないし、読みかけの本だって何冊も溜まっているし、夏の初めに買った鉄砲の形の光るシャボン玉マシンも開封していないのである。なんとなく心身とも冴えなくて、胸のあたりがつかえるような感じがして、仕事には行けていても家ではスマホを適当に触ってしまう。そしてそんな無為な時間を過ごした自分が嫌になる。スラムダンクのミッチーの「なぜオレはあんなムダな時間を……」という後悔のめちゃくちゃ小規模なやつを繰り返しているのだ。

この「気持ちの波は落ち着いてるけど大丈夫じゃない」現象はこれまでにもたびたび起こっていて、そのたびにどうすればいいのかわからなくなる。気持ちの波が落ち着いているので大丈夫だと言えるはずなのに、気力も体力も追いついてこない。気持ちの波のレベルと、気力と体力。このパラメータがバランスよく整うことがない。

 

大丈夫になりたいなぁ。

よく、心のなかで呟いている。

 

生涯付き合う必要のある病を得た時点で、健康にはなれないだろう。でも、いつか、時間をかけてでも大丈夫になれたら。思えば高校生の頃から病を抱えてきて(当時はうつ病と診断されていた)、基本的にずっと大丈夫じゃなかった。それがデフォルトで、大丈夫じゃない自分をごまかしながら生きていくものだと思っていた。大丈夫なんて夢だと諦めていたけど、突然、「だったら夢として目指してみてもいいんじゃない?」と思い至った。いつものように「大丈夫になりたいなぁ」と呟いたあとに。

将来の夢なんてふわふわしたことを言うような年齢じゃないことは承知の上だけど、今この瞬間は将来の夢を「大丈夫」にしようかなぁと思っている。大丈夫と思える日があるように、増やしていけるように。飽きっぽくて忘れっぽいわたしのことなので、明日にはまた別のことを考えているかもしれないけど。今だって、大丈夫と言える状態ではないけど。

いつか、大丈夫であるように。

ま、ぼちぼちいきますか。


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パンを焼く

近頃、夫もわたしもなんとなく不調である。夫はちょっと落ち込み気味になり、わたしは軽躁と鬱が混じり合った状態になっている。こういう状態のままでいるのはまずい、まずいぞ。何かケアしなければ。そう考えていたところ、ふとコンビニで見かけたムック本を思い出した。

そうだ、パンを焼いてみよう。生地をこねてみよう。料理にしろ粘土にしろ、「こねる」という作業は不思議と落ち着く。パン作りとか陶芸とかそば打ちが趣味の1ジャンルとして成り立っているのは、おそらくこねるという作業によるセラピー効果もあるのだろう。陶芸は家ではできない上に作品を置く場所もなく、そば打ちは道具を揃えなければならない。しかしパンはどうだろう。オーブンレンジもある、調理器具もある、前にクレープ作りに買ってそのまま冷蔵庫で眠っている強力粉もある。このムック本のスクエア型とドライイーストさえ買えばできるではないか。

 

善は急げと火曜日の仕事帰りにショッピングモールに寄り、ドライイーストとムック本を買って帰った。木曜日が祝日だから、水曜日の夜に焼けば翌日の朝ごはんにできる。そういう算段で買って帰ったものの、夕ごはんのあたりからわたしの易怒性が強くなり、破壊衝動に見舞われるようになった。手当り次第に投げたり壊したりしたい、とにかく力が有り余っているようでイライラしてしまう。威嚇する猫のようにフーッフーッと呼吸をしながら対処に困っていたところ、ムック本が目に入った。そうか、パンを焼けばいいのではないか。夫のケアのために買ったはずだけど、わたしがこれだけ毛を逆立てたままでいるのも危険だ。よし、やるか。

 

さっそく粉類を計量してボウルに入れる。ぬるま湯を一気に入れて混ぜ始めたところ、なかなかクッキー生地のようにはまとまらない。なにしろ粘るのである。これが強力粉なのか、グルテンというやつなのか。バターを練り込み、どうにかボウルにつかないくらいにまとめ上げ、まな板の上でこねる。我が家のまな板は重いゴムまな板なんだけど、それでも余裕でまな板が動く。生地だけでまな板を持ち上げられてしまう。打ち粉不要と書かれていたけど、粘ってくっつくので著者のYouTubeにあったようなこね方ができない。それでも、お手本を思い出して力を入れて手早くこねているうちに、だんだんなめらかになってきた。これを16等分にして5分休ませるんだけど、急いで包丁で切ったため等分にはほど遠い16個の生地の塊になってしまった。5分休んだ生地はちょっとぷっくらするので、押してガス抜きをしてから丸く成形して型に並べる。並べたら室温で30分置いて発酵させ、その間にオーブンを200℃に予熱しておく。発酵の間に洗い物をしてナイターを観て過ごした。


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ぷっくぷくに発酵した。イースト菌がんばってる〜!この頃にはもうすっかり暴力的なまでのイライラは収まっていた。やっぱり何かをこねる作業にはセラピー効果がある。しかも力を入れてこねる必要があるので、有り余った力をぶつけ放題なのだ。これでおいしいパンになったら最高だな、と思いながらオーブンで13分焼く。


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焼けた。見た目がちょっとざらっとしてるけど、だいたいパンだ。あっつあつを型からよいしょと取り出してちぎってみる。


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パンだ!

これはパンだ!!

焼き立てを食べてみる。表面が固くなっちゃったけど、中はもっちりふかふかで紛れもなくパンだった。試食した分以外のパンはラップでぴっちり包んで冷凍した。パンは冷凍して食べられるのがいい。

 

イライラして有り余る力を生地にぶつけたら、おいしいパンになる。この知見を得たことで、次にまた易怒性が襲ってきたときの一つの手立てを増やすことができた。自分をケアするための手段はなんぼあってもいいですからね。次は何かを混ぜて焼いてみようかな、そんなことを夫婦で話している。